前回は教材のフリー化を目指すカーン・アカデミーの話を書きましたが、あれが遠いアメリカの話と思っていると、ちょっと違います。日本にも既に「manavee」というサイトが上がっています。
manaveeはインターネット環境があれば誰でも無料で大学受験のための勉強ができる。 大学生を中心とした先生の動画授業を見て、予習・復習やセンター・二次試験対策をすることができる。ターゲットは、優良な予備校が無い地方の人、また経済的に困窮している人などだ。
これこそイノベーションだろう。ネットの力によって、今まで満足に教育を受けられなかった人達にも学習の機会が与えられると言う事だ。この活動によって広く日本の学力が高まれば良いと思う。
だが、そこでふと思うのだ。そもそも全ての基礎教育がこのようにあるべきでは無いのだろうか?
結局、このフリーの教材とそうでない既存の教材の境目は、国による認証を受けているかいないか?だけでは無いのだろうか?
だとすれば、既存の教材がそもそも無償で提供できるコンテンツを利権によって、ガードしているに過ぎなくはないか?
技術が進歩し、あらゆるナレッジは簡単に複写して共有できる。世界最大の百科事典は既にwikipediaとして、ネットの上で「無償」で共有されている。たかだか、日本国の日本人が受けるべき教育のその教科書がネット上に、無償で掲載されていない意味が分からなくなっている。
「世界」は今の有り様を保持することが第1優先であるようだ。このような事を考えるものは「敵」として排除されるのだろう。
これこそイノベーションだろう。ネットの力によって、今まで満足に教育を受けられなかった人達にも学習の機会が与えられると言う事だ。この活動によって広く日本の学力が高まれば良いと思う。
だが、そこでふと思うのだ。そもそも全ての基礎教育がこのようにあるべきでは無いのだろうか?
結局、このフリーの教材とそうでない既存の教材の境目は、国による認証を受けているかいないか?だけでは無いのだろうか?
だとすれば、既存の教材がそもそも無償で提供できるコンテンツを利権によって、ガードしているに過ぎなくはないか?
技術が進歩し、あらゆるナレッジは簡単に複写して共有できる。世界最大の百科事典は既にwikipediaとして、ネットの上で「無償」で共有されている。たかだか、日本国の日本人が受けるべき教育のその教科書がネット上に、無償で掲載されていない意味が分からなくなっている。
「世界」は今の有り様を保持することが第1優先であるようだ。このような事を考えるものは「敵」として排除されるのだろう。